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田中屋
1981年生まれ AB型 2004年よりシルバーアクセサリーブランド「田中屋」を...

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文章を書く

2007年02月27日 21:36

このブログを書き初めて一年ほどですが、やはり文章をかくのは慣れません。
普段話している日本語すら怪しいのですから、当たり前かもしれませんが。
いくら読書が好きとは言えども、本を読んでる人はおしなべて文章が上手かと言われれば疑問なわけで。

こんな面白い文章をかければいいなぁ、と思っている方がいます。
東大英文科教授兼現代海外文学翻訳家、柴田元幸先生です。
柴田先生の翻訳がとても好きなので、ファンになってしまったのですが、翻訳本の他エッセイも何冊か出しています。
これが大変面白いのです。
東大という肩書きがまっさらに消えた飾り気の無いが、ユーモアのある文章。
テンポが良く、実に読みやすく、日常的で親近感のある話ばかりです。

こんな文章をかけたら、きっとジュエリーをやりたいと思う人が数倍増えるんじゃないかと思ってます。

フォルム

2007年02月26日 20:13

先日、高校時代の美術の先生にお会いしてきました。

そこで作品をみせたのですが、「どれが売れるのか」と聞かれ、「うーん、これとかこれとかかなぁ?」といくつかの作品を指しました。

先生曰く、「フォルムがいいものが良い」だそうです。

確かに分かり易い、全体的な流れを重視した作品のが人気なような気がします。
ラインが奇麗で且つ余計なものが付いてないもの。

私のデザインする対象のものは、どうしても情報を詰め込もうとしてしまいます。
オブジェクト自体ではなくて、模様であらわすとか、石を使うとか、チェーンを工夫するとか、分からないように工夫するとか、と色々考えてます。

「フォルム」。
次回新作は意識して作ってみようと思います。

読書

2007年02月25日 19:31

私の多趣味の一環に「読書」があげられます。

主に現代英米文学を読みます。
日本人なら、やはり妖怪好きとしては外せない京極夏彦を読みます。
両極の趣味ですが、いずれも意味のあるものだなぁと思います。

本は昔から好きで、特に小説はイマジネーションを刺激します。
これは作品を作る上でも必要な項目だと思います。

海外文学だと、ガルシア・マルケス、ミラン・クンデラ、ポール・オースター、J・D・サリンジャー、カポーティー、ティム・オブライエンなどなど、数えきれません。

良く、海外文学は人の名前が覚えられない、風景描写等がわからない、といったことが言われます。
しかし、そのデメリットともいえることを想像力にて補うのです。
自然に鍛えられ、見たことも無いアメリカの閑散とした大地や、文化、色々な国の船上からの景色が見えてくるのです。

そうして、他の国の文化の中にいると、逆に日本文化に対して敏感になってきます。

京極夏彦、保坂和志、阿部公房等を読むと、懐かしさと文化の差異、自分が日本人であることをひしひしと感じ、日本人であるからこそ分かる歴史・描写・言動があらわになってきます。
だからこそ、私は日本的なものに惹かれ、そういった作品を作りたいと思うのです。

作品にはストーリーがあります。
私は作品を作る上で、そのストーリー性を大切にしています。

技術を磨くことももちろんですが、作品を作り出す背景を常に思い浮かべることも必要不可欠であり、その手段の一つとして読書があるのだと思います。

たぬき。

2007年02月24日 20:06

070214_0055~0001.jpg

友人(狸好き)にプレゼントするために、しおりをつくりました。
頂いた年賀状に描かれていた、ぶんぷくちゃがま。

0.5mmの銅版(本当は真鍮のほうが硬くて、加工しやすいのですが、売ってなかったので)を大体のしおりの大きさに糸鋸でカット。
下書きの下にカーボン紙を敷いてなぞって、模様を銅版に写します。
あとはひたすら糸鋸でギコギコすかして削っていきます。
ちょっとヤスリで調整して、形を整えます。
軽く紙やすりをかけてエッジをとります。

銅は10円玉でもわかるように、すぐに酸化して色がくすんできます。
ですので、最初から火であぶって黒ずんでいるアンティークっぽく仕上げました。

所要時間2時間といったところでしょうか。

工具

2007年02月23日 20:43

彫金をするときの要、工具。
これは糸鋸からヤットコ等大変幅広いです。

工具は、買ったものをそのまま使うことはほとんどありません。
大体が、自分の使いやすいように加工します。

一番加工のしがいがあるというか、自由がきくのがスパチュラです。
これは歯医者さんが歯石を削るときなんかに使う金属製のものです。

スパチュラは、主にWAXを用いる原型制作に使います。
人それぞれの作品も違うように、それに合った工具を使わなければいけません。
そうするとやはり、市販のものの形では不都合な場合が多いのです。

私は今、それぞれ両端に加工をして計9種類を使い分けています。でも主に使う先端は大体決っていて、2?3種類です。
それだけではなく、身近な竹串や金属加工に使う工具なんかも使います。

今使っているスパチュラは何時間もかけてヤスリをかけたり、磨いたりして加工したものばかりです。

一時期引越しのどさくさに紛れて、スパチュラが見つからない時がありました。これは本当にこまりました。愛着のある、要の工具がないのですから。しばらくしたら思わぬところから見つかりましたが。

作家にとって道具は命です。
大切にしなければと改めて思ったのでした。

DM

2007年02月16日 1:29

今、次回展示会(二人展)のDMを作っています。

デザインは難しいですね。禁煙と同じくらい難しいです。
自分の趣味だけでなく、二人の趣味を合わせなければいけないのですから。
私はMACを使っているのですが、MACのモニターとWINのモニターも違うわけですし、出力したらもっと違ってしまいます。
シルバーは基本モノトーンの世界ですから、ここに色をのせるという作業は慣れないというか、やはりモノトーンベースになってしまいます。

PCでの二次元の世界と、彫金の三次元の違いはあるなぁと、机にむかってて思います。
脳の使う場所が違う疲れを感じます。
スイッチが切れ変わるというか。
デザインをやっている時はそればかりになり、彫金をしようとはまったく思いません。
その逆もしかり。

今のモードは二次元です。
そのスイッチの切り替えは何か切っ掛けがあるとは思いますが、自分では良く把握出来てません。
今のところ勢いかなぁと。

DMはお客様を呼ぶ大事な手段です。
自分たちに合う、素敵なDMを作り、来て頂いたお客様の期待にこたえる作品も作らなければと、日々思考錯誤です。

ものをつくるということ

2007年02月12日 15:25

いろんな職種で、「作家」という立場は特別だと思います。
会社に組み込まれるのではなく、自分が社会に組み込まれるわけですから(狭義において)。
会社に与えれられた仕事ではなく、自身から仕事を作っていくわけです。
そしてその道は、売れなければ、収入はゼロになるわけですから。

「つくりたいものをつくる」と前回書きましたが、同時に「売れるものをつくる」という制約も付く訳です。
もし作品が売れたのなら、自分が社会に認められた一種の見方でもあります。

アクセサリー作家は、この商品は売れるだろうか、売れるためにはどうしたらいいのだろうか、をデザイン段階で考えます。
例えば、モチーフ。
認知されやすい、わかりやすいもの、もしくは間接的にそれに準ずるもの。
そして付けやすさ。
重過ぎないか、サイズはどのくらいがいいか、指なじみはどうか、コーディネイトの邪魔にならないか、等。
それに加えて、自分の個性を出さなければなりません。
どこにでもあるものは、お客様に安心感を与えますが、同時にどこでも買えるので、自分の作品のインパクトは無くなってしまいます。
かといって奇抜なものは、躊躇されます。

一般に認知されやすいものを踏襲しつつ、他との差別化を図らなければなりません。

理屈を述べるのは簡単ですが、作り手としては永遠のテーマでもあります。

私の場合、まったくないジャンルを開拓しているわけですから、かなり厳しい道です。
そしてまたターゲット層もかなり限られてきます。
それでもやはり、(自分の作品のコンセプトは変えるつもりはありませんが)認知されやすい形に変えて作ること、売れるものを作ることは必要不可欠な要素です。
「作家」という聞こえはいいですが、ものつくりの道は険しいです。

何故この仕事?

2007年02月11日 22:01

こういうものを付けたい!欲しい!
というきっかけでジュエリーを学びたい。という方。

こういうのを作りたい!こんなのがあったら面白いんじゃない?
というきっかけでジュエリーを学びたい。という方。

ものづくりをしていて思うのは、作家には上記二つのタイプにわかれるんじゃないかなぁと思います。(別に分ける必要性もないんですけど。)
私は後者の方ですが、どうも前者の方が多いようです(あくまで私の周りですが)。
ですので、私は自分の商品はほとんど身に付けません。
アクセサリーを作っていると言うと、よく「今付けているリング(あるいはネックレスとか)作ったの?」と聞かれます。
この場合、というか大半の方は「アクセサリーを作っている人は自分が付けたいから作っている」もしくは「自分の好きなものを作って、それを身に付けるのは当然だろう」と思われているようです。
私は装飾品が好きなので、いつも必ず何かしら付けているのですが、「いや、自分で作ったのはほとんど付けないんだよ」というと不思議な顔をされます。
そういう時は「付けたいものと作りたいものが違うんだよ」と言います。納得したような、してないような顔をして「今度見せてね」と大体の場合言われるのがパターンとなっています。
別に自分の作品が嫌いとか自信が無いとかではないのですが(だとしたら作り手として大変失礼なことですし)。

私はいつも、こんなのが作りたい!と思ってデザイン画を描きだします。そしてそれが出来上がるまでの一連の作業はとても楽しいです。
もちろん、こういうのが欲しい!と思って作ったものも沢山ありますし、自分の作品は自分にしか作れない・デザインできないものと考えています。
でも、作品が一個出来上がると、それは「私のもの」では無く、この作品を気に入ってくれる「誰か(お客様)のもの」になる気がするのです。
作っている時は「私のもの」なのですが、完成した途端、赤の他人の如く、よそよそしく感じられるのです。

私の付けているものは大体が友人が作ったもの、買ったもので、それは自分では絶対にできないデザインのものに限られます。
自分の中で事足りることでは無く、自分には無いものを補充しようとしているのかもしれません。
そして逆に考えれば、自分の中にあるものを世の中に出したい、他の人の中の足りないものを自分の作品によって補充して欲しいということとも云えると思います。
私の場合それがアクセサリーという形を取り、その考え方は世に出ている全ての商品、もしくはサービスという言葉にも共通するのかもしれません。

飛躍しすぎました。

この職業に就きたかったのは、単純に、アクセサリーが好き、考える・つくるという作業が好きということで充分な説明だと思います。
あとは自分の中で整理すれば良いだけで、その都度意義や使命など考えていては作品を作る時間が無くなってしまいますし…。