紙の呪縛
2006年03月02日 21:00
デコです。あっという間に1カ月です。
このブログにかきかきしはじめてです。
最近、床屋さんにいってデコが広がったような気がします。
デコです。デコです。デコです。
ということで、
今日は髪、もとい、「紙」素材とメディアの関係についてひとことふたこと。
先日新聞を読んでいたら
「文字・写真とは対照的な音楽」
と題して
過去において一度でも紙素材に出合ったメディアは
なかなか紙から離れられないようだ[紙の呪縛]
産経新聞2月28日(稲垣真澄)
との一説が目にとまりました。
これだけでは何が言いたいのかちょっとわかりづらいですね。
逆に紙素材に出合ったことのないメディアとはなんだろう?
から始めるとわかりやすいです。
例えば「音楽」や「映画」。
音楽を僕たちの耳に届けてきた媒体素材は、
レコードではSPやLP、ほかにテープ、CD、MD、などなど。
さらに近頃あたりまえのインターネットによるネット配信。
また映画もビデオ、LD、そして今ではDVD、ネット配信もありますね。
電波(ラジオ・テレビ)は言わずもがな。
もしかしたら「紙のレコード」なんて世に出ていたかもしれませんが
普及した。しているという意味では紙に接触していないのですね。
つまりこの紙に出合ったことのない音楽や映画は、
技術の進化と人々のニーズがフィットすると、
けっこうなスピードで媒体素材を変えてずんずんつき進んでいく。
そして、この媒体素材の変化が音楽や映画そのものに
変化をもたらすとの指摘もオモシロイです。
レコード史研究家の高橋敏郎氏のコメントを引いているのですが
「音楽において、SPレコードの普及にともなって、
“音を増幅させない”アコースティック録音から
マイクを使った“電気録音”への変化が、
オペラ歌手のように声量が豊かでない人の歌も
“増幅すること”で録音できるようになった。
それが軽音楽やポップスが音楽として発展する一因にもなった。
その後、戦後のLPとドーナツ盤の開発と普及が
リスナーのクラッシックとポップスの棲み分けをも生んだ」と。
僕が好きなマイルスデイビスなんかも、
「SP盤では録音できる時間が限られていた。
LPがでてきたことで自分のやりたい音楽の幅が格段に広くなった」
みたいなことを自叙伝で言ってたような気がします。
確かにマイルスの音楽を時系列で聴いていくと、
テクノロジーの進化が芸術や表現活動を変化・進化させることがある
とうことも、あながちウソではないようです。
お話を戻しますが、最後にこの記事でも
「昨今のめまぐるしい媒体素材の変化は、
新しいどんな変化を音楽にもたらすのか」
と締めています。
では、紙の呪縛をうけているものはといえば?
それらが、僕がディレクターとしてリアルに関わる「文書」「写真」たち。
活字・写真はデータ化があたりまえの昨今でも、
プリントという紙の呪縛から解き放たれない「文書」「写真」たち。
でも、僕にはこの呪縛こそが紙素材の魅力だと思います。
この力をしっかりと意識して「紙」を愛でるようにデザインに向きあう時は、
なかなか楽しい作業です。
でも僕が書いているこのブログのように、
評判なものは書籍になったりしているとはいえ、
ずんずんウエブの世界だけで自足しはじめている
「文書」「写真」たちの存在も無視できない世の中なのだなあ
と思う、デコ広がる今日このごろでした。
デコ広がり更新中!山口デコ


コメント
■この記事へのコメント
ひところPCとかネットとかが広まるにつれ、紙媒体はなくなる。ペーパレス時代が来るなんてバカなこと言われましたが、むしろプリントアウトで紙が増えているんじゃないか?
と思っております。
携帯でも、コンピュータでも小さくなるといわれつつ、逆にでかくなってたり。モニターとか。
紙はこれからもなくなりませんね。
小説も、やっぱり、文庫本より小さくならないような気がします。
電子ブックとか普及するのでしょうか。しないような気がしますが。
デコさん!そう思いませんか?
Posted by mrぶー | 2006年03月06日 15:12
mrぶーさん>
紙は媒体としてはなくならないけど、限定はされていくと思うよ。電子ブックとかは、紙の呪縛に勝てるわけがない。なんてのは僕ら以上の世代の戯言になる可能性もあるよ。現に携帯小説出身の作家の本がブレイクしてるでしょ。ってことは活字への入口がいきなり携帯ってな若い子も僕らの想像を超えているかもよ。携帯小説?てなだけで読みたいと思う気持ちが半減したりしない? 環境問題(いきなり飛びすぎかな)なども考えちゃうと、さらにいろんな見方をしなければならないしね。僕らの仕事はかなり紙を浪費する仕事でもあるしね。でも人類の進化を促したマテリアルだからね。敬意をこめて接していきたいところです。さてトイレにいってこよ。
Posted by デコ | 2006年03月07日 19:58
こっちのページに逆戻り。笑
デザイン業界なので紙という視点で切っているんですよね。しかし私たちの業界っていうのは制作物に「紙」を媒体とするもの以外にウエブなんかもあるので、正確には「物体のないモノ」もあるんですね。
私が思うに例えば「本を買う」というのは前後の行為が付属し、物体というモノが発生し、保管なり所有なりとなりますよね。ウエブは所有しなくても良い仮想物体。
本などは紙の代表ですが、同じようにCDやDVD、プラモデルや、お人形、フィギュアやバイク、そして自動車までまで「所有」する楽しみというのは元来、人間の中に「物欲」としてあると思うのです。
だから「本好き」の人間は自分の家の中にどのように本をストックしておくかが大切であったりします。これは「後の行為」ですよね。では前の行為は「玄関出て書店に行って買う」という行為。これらが伴って様々「価値」というポイントに符号する。とこのように考えられますね。
という視点からすると紙、本は無くならないでしょう。近年、日本の若者のコミュニケーションの欠如という視点、携帯メールだけで会話するとか、他人との関係を避けるということが極論的に全国に拡がっていくとしたら、こり定義も崩壊するでしょうね。けどいつの時代も人間をひとつのカテゴリでひとくくりには出来ませんから、きっと様々なモノが残っていくのではないでしょうか。
ね。
Posted by マンボ | 2006年03月08日 18:45
マンボさん>
否定も肯定もしませんが、ここ何年かあきらかに人間の「モノ・ヒト」に対する欲望の表し方が変わってきていると思います。つまりコミュニケーションが。
ある「モノ・コト」を実体としてつかめていなくても、つかめていないことにすら気づかず、コミュニケーションが成立してしまう世界があると思います。そんな流れのひとつで、携帯はマテリアルのいらない媒体だと思うし、ものすごいものがあると思います。ただ、マンボさんからコメントをもらって気づいたのですが、特に若者だからといわけではないような気がします。僕も携帯メールで完結させてしまうこともあったりして、ボケーとしてしまう時がありますもの。
Posted by deco | 2006年03月11日 16:52