BRUTUSと過剰とハンセイザル
2007年01月15日 22:00
デコですこんばんバシ!っとしなさいバシっと!と、先日ある人に怒られてしまいました。
そんな先日、いま発売されている『BRUTUS』を(久しぶりに)買いました。
この号では“クオリア”で有名な脳科学者の茂木健一郎氏をフューチャーしています。『BRUTUS』曰くのすごいスポット、例えばニューヨークはブルックリンにある現代美術のギャラリーやロシアのエルミタージュやインドのガンジス川などに茂木氏に行ってもらって、すごい脳科学者である彼の視点で「すごいスポット」を探れば、「すごいすごい」だけに、何かアタラシ・オモシロな「すごいすごいすごい」視点をぶちかましてくれるでしょう。という企画(だと僕は思います)。
そんなすごいスポットの紹介に並行して、宗教学者や将棋指しなんかと彼が対談をしているのだけれど、現代アートの大竹伸郎氏との対談が特に興味深かったです。僕には、クオリアっていう概念がいまいちピンとこないから、どちらかというと彼の著書には、これまで手がのびずだったのだけど、この大竹氏との対談とともに掲載の各対談もそれぞれにオモシロかったです。
大竹氏との対談の冒頭で、茂木氏が「才能の基準として“過剰”にあふれる何かを“絶対の基準”としている」といっているのだけれど、才能の基準というのとは別として、僕も“過剰”なモノ・コトに惹かれてしまいます。それは、作家の生きざまであったり、作品のディテイルだったりでまちまちなのだけれど、僕の目の前に“過剰”がズルリと現われると、僕はズルッとその世界に引きずりこまれてしまいます。
先日観た「スーパーエッシャー展」しかり、昨年の「若沖展」でもそうでした。音楽の世界でもそんなことがたくさんあります。僕の好きなDJのひとりでもある“ラリー・レヴァン”(http://www2.club-yellow.com/gallery/p09.html)。彼のミックスも生きざまも、とってもとっても“過剰”な魅力にあふれています。
それはそうと、『BRUTUS』のアートディレクションも、そろそろガラっと変えてもよいのでは…、と個人的には思いました。「CAP」(http://www.cap3hats.co.jp/)さんが起こしたエディトリアルデザインの潮流が、ここ何年も変わっていないなあと、同じ世界に生きる自らも含めハンセイザル。
願わくばサルマネと言われない新しい試みに、今年はチャレンジしたいなあとしみじみ。そんな矢先、年明けていまだ正月ボケさめやずの体たらくにバシっと怒られてしまい、すかさずハンセイザルに戻ったデコなのでした。
『BRUTUS』
最新号 No.609
マガジンハウス 刊
http://www.brutusonline.com/brutus/
今日も生きざま更新中!
山口デコ


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