A DAY:THE WORK「働かなくても生きていけたら別にいいじゃん」な人たちへ
2010年01月23日 11:55
とあるニートの方のブログに行きつき、小飼弾氏の著書のタイトル「働かざるもの飢えるべからず」が頭にこびりつく。
「ベーシックインカム」について書かれている本の内容については、読んでいないのでここではお話できませんが、「働かなくても生きていければ別にいーじゃん」と考えて生きている人っているのね。
人間って狩猟時代の大昔から、猟場[シゴト場]に行って、狩り[シゴト」をして、獲物[ホウシュウ]を得ることで、生活していたのだよね。きっと。
家族という単位があったのかどうかはわからないけど、その中には[シゴト]ができる人とできない人が当然でてくるはず。
例えば、危険なリスクをともなう狩り[シゴト]に適さない、子どもや老人や女性や病人や生まれつき体の不自由な人だったりが、合理的に考えれて[シゴト]ができない人たち。
できない人は自分で[ホウシュウ]を得ることができないのだから、[シゴト]ができる家族の[助け(扶け)]が必要でしょう。
でも、積極的に何もせずに「働かなくても生きていければ別にいーじゃん」な[シゴト]ができない人がいる家族は、「働いている人のために自分にできることをしよう」な[シゴト]ができない人がいる家族に比べて、[シゴト]ができる人の負荷は高くなるはずだから、家族が得られる[ホウシュウ]は必要な労力に相対して少なくなるはず。
なので、かぎりのある[ホウシュウ]のもとで生活しなければならない家族にとって「働かなくても生きていければ別にいーじゃん」な考えは、家族という構成単位を維持していくのに合理的ではないと思う。
さらに、働くことじたい、人に時間的拘束や体力の消耗など何らかの負荷をかけるものなのだから、働く人にとって働くこと以外で負荷を高く感じてしまうと、そこに道理的・合理的な理由を見いだせないかぎり、[助け]は[負担]になるではないかしら。
例えば、幼い子どものために[シゴト]をするのはふつうは[負担]ではないでしょう。そして、合理的に考えられない[負担]はいつしか[不満]になり、助けたくなくなる。
まして、家族でもなんでもない人たちに向かって「働かなくても生きていければ別にいーじゃん」と主張する人が、「ベーシックインカム」も賛成ですと主張するのは無理があると思う。それとこれとは別。「働かなくても生きていければ別にいーじゃん」は家族にだけ言えばいいこと。
でも、そもそも合理的な判断基準が違うのかもしれないけど。
ひさしぶりに生きざま更新しました!
山口デコ


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